武道具専門店誠心堂

アクセスカウンタ

zoom RSS 昭和の剣聖 持田 盛二

<<   作成日時 : 2012/06/18 16:16   >>

かわいい ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

 群馬の剣術、剣道の歩みをつづった『群馬剣道史』には〈上州が生んだ二大剣豪〉として、剣法「新陰流」の祖である上泉伊勢守信綱と並んで、「昭和の剣聖」といわれる持田盛二が紹介されている。強さと気品を兼ね備えた持田の剣道は、日本の剣道史でひときわ輝きを放つ。   持田の遺訓に〈私の剣道は五十を過ぎてから本当の修行に入った。心で剣道しょうとしたからである〉の言葉がある。持田にとって剣の道は、心の修行と一体だった。   持田の稽古を受けたことがある元県警職員で教士七段の宮下邦栄さん(75)=前橋市元総社町=は語る。 「剣道の神髄を極めた人と思う。3分ほどのかかり稽古でもこちらは息が上がった。群馬の剣道界の発展に貢献した恩人でもある」    持田は6歳の時から、自宅に道場を開いていた父、善作に厳しく剣道を教え込まれた。後に才能を見いだされて京都の武術教員養成所で学んだ。卒業後は東京高等師範学校講師や朝鮮総督附警務局師範などを務め、1929(昭和4)年に昭和天皇即位記念の天覧試合で優勝した。   〈どんな場合にも己の名利を求めようとしなかった〉。『昭和の剣聖・持田盛二』(舩坂弘著)で著者は持田の高潔な人柄をたたえ、天覧試合の優勝にもかかわらず敗者をおもんばかり報道陣の取材をかわしたエピソードを紹介している。   天覧試合の翌年、桐生市出身で講談社を創業した野間清治に招かれ、野間道場の師範に就任。警視庁、皇宮警察部、陸軍戸山学校などでも指導にあたった。東京・音羽の持田の家に小さい頃から遊びに行っていた孫、久夫さん(80)=前橋市鶴光路町=は「静かで温和。子供心に品格を感じた。朝早くから稽古に向かう姿を覚えている」と祖父を振り返る。   『群馬県剣道史』は〈昭和の剣聖≠ニよぶにふさわしい最高峰の剣技と人格を兼備した不世出の名人であった〉と記している。             メモ  1885(明治18)年、勢多郡下川淵村鶴光路(現前橋市鶴光路町)に生れた。父の善作から法神流剣法を学ぶ。1929年の天覧試合で日本一に輝く。64年の東京オリンピック開会式で斎村五郎と共に日本剣道形を披露した。剣道範士十段。74年に死去。   地方新聞より
画像
   

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 12
かわいい かわいい かわいい かわいい かわいい
面白い 面白い 面白い 面白い
驚いた 驚いた
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
昭和の剣聖 持田 盛二 武道具専門店誠心堂/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる